代表挨拶


代表

大月伸昭

劇団ザ・マルク・シアターのホームページへようこそ!

振り返ってみますと、昭和58年の晩秋、十数名の若者たちが農家のバラックの中の作業部屋で、夢と希望を語りながら、良いものを作りたい、今ある想いを伝えたいとの情熱だけでこの劇団を立ち上げ、時には感動しながら、また時には苦悩しながらもひたすらに取り組んでまいりました。
今日までこうして続けてこられたのも、皆様の支えや励ましがあったからこそであります。この場を借りて改めて御礼申し上げます。ほんとうにありがとうございます。

泣いても笑っても38年、こんな私たちですが、群馬県の演劇文化の一端を担ってきたと自負しているところでもあります。
最近は、せっかく続けてきたのだからこそ、この資産を次世代に残し伝えたいという思いがつのってきているところでありまして、社会的にまた経済的にもう少し身動きができるようになればまた違った形でのアプローチもしていきたいなぁと思っているところです。目論んでいる活動内容については、とりあえず、乞うご期待ということで…。

今後も劇団ザ・マルク・シアターをご贔屓いただきますようお願い申し上げます。

 

2021.1 吉日


マルクのはじまり


主宰

生方保光

1983年11月、群馬県で開催された「あかぎ国体」のスポーツ芸術部門参加作品「上毛野の里」の劇団員が中心となり「劇団ザ・マルク・シアター」を結成。演劇だけに囚われず、スポーツにダンスに遊びにと、集まれば歌い・踊り・笑いのちょっとあぶない20数名の老若男女。みんなで、なんかやろう!なんか…!。しかし、なんか…まで。

 

劇団の名前もなかなか決まらない。主宰の生方は、炬燵に入りながら「みんなでさぁ、こうやって車座になりながらいろいろなことを話して決めていくのが良いと思うんだよね。だから、車座っていうのはどうかな?」

その時、部屋にいた全員が声をそろえて「ダサァ~!」(今までこんなに息が合ったことがないのに?) 頭をうなだれ肩を落としている生方を見て、少しはかわいそうに思ったのか、一人がカタカナで「クルマザ」と書いた。「クルマザ」かぁ?と何気に言葉を吐く。紙に書いてくれたかわいい子の反対側には、どこでも必ずいる少々呑気でテンポの遅い女の子。つまりはどんくさい子が「ザマルク」ってなに?

 

この一言が30年の永きに亘り、看板としてきた名前とはあまりにも情けない。しかも、「ザマルクだけじゃかっこ悪いから「シアター」とかつけたら」って映画館じゃねんだよ。それでも、「車座っていうのがばれそうだから「ザ・マルク・シアター」って、「・」を付けたら?」って悪乗りしやがってモーニング娘の先取りか!こんなの新入団員に聞かせられねぇよ!

でも、この名前、実は気に入ってるんです。結構良いと思いません??

そして、翌1984年2月26日に太田市社会教育総合センターで初公演「ブンナよ木からおりておこい」を上演することとなる